カイバル峠で [西南アジア一人旅]

アフガニスタンには日本人と顔つきがそっくりな民族がいる。
ハザーラ族である。
中には目の色が青い人もいて遺伝学的に驚かされる。
いろんな説があるようだけれど、一般的には13世紀チンギスハーンがアフガニスタンに攻め入ったときの末裔といわれている。
カンダハールからカーブルに向かうバスの中で僕はハザーラ族のグループに出会った。
顔つきがそっくりなので、どちらからとも無く話しかけた。
I'm a Japanease 僕は日本人です
Japaneas are just Monngoriann  日本人は蒙古系で
We are the same  一緒ですね
いぶかしげに彼らは僕を見ていたが
一人が”やおら”ポケットの袋を取り出し
中から草をつまんで僕に食べてみろという仕草をした。
クローバの葉っぱだった。
僕はすぐに口にほり込んだ
青臭い美味しさが口に広がる。
ハザーラの人たちの表情が和らいだ
この葉を食べるのはハザーラだけだそうだ。
これをきっかけに僕たちは仲良くなった。
彼らとは僕が途中下車したカズニで分かれたが
この時はまだ、彼らに命を救われることになるとは思ってもいなかった。

アフガンK7バス停_fi.jpg

バスの停留所

アフガンK8礼拝_fi.jpg

バスは定期的に礼拝のためにストップ
人々は礼拝所や近くの適当な場所にメッカに向かって座り
礼拝をする アラーアクバル!  ラー・アッラー・イッラー・アッラー!

アフガンXカズニ_fi.jpg

アーモンドの咲き乱れるカズニ

旅の最終目的地アフガニスタン
3ヶ月の滞在予定が、わずか8日間しかいられなかった。
でも
いろんな出来事が次から次へと起こった。
まだまだアフガニスタンの地に居たかった。
滞在期間の延長申請もかなわず
それどころか宿泊施設にやってきた兵士たちによる
外国人旅行者の強制国外退去の命令
旅行者たちは無理やりバスに乗せられ
カーブルからカイバル峠へ・・・
”急に国際会議が行われることになり
外国人たちが全員国外に退去されることになった。”
という噂が旅行者の間に飛び交った
取り敢えずパキスタンのペシャワールまで退いて
それからどうするか考えよう
混乱の中
バスはカイバル峠へ
バスが着いたのは荒れ果てた山岳地帯だった
はるか離れた山裾を行く駱駝を連れた隊商のような集団が行く
昔から国境地帯を自由に行き来する人たちの集団だ
民族服に身をまとった人たち
まるで何百年も前の世界を見ているような
不思議な気持ちになった

カイバル峠
文明の交差点故の激しい歴史
アーリア人のインドへの侵入
アレキサンダー大王の遠征
・・・・・・・
イギリスの介入
多くの歴史が蠢き
その歴史故の現実が繋がっている
僕は今、現在を生きているのだろうか
体内をいろんな時代が駆け巡り
いろんな想いが駆け巡る

アフガニスタン
荒々しくも美しい自然と
激しい気性の人たち
いろんな民族の人たち
・・・
去りがたい気持ちを抱え
周囲の景色を眺めていると
一人の男がやってきた
”マネーチェンジ!”
闇の両替商だ。
国境のこんな場所に現れるなんて
こんなに多くの人がいるところに・・・
No!
断っても、しつこく迫ってくる。
アフガニスタンの商人の多くはそうだ。
”レートは?
”仕方なく聞くと
法外なレートを提示してきた。
”え~!、You are crazy !"
僕は思わず言ってしまった。
安易にcrazy
と言う言葉を使ったのだが
crazy という言葉に男は反応し
突然、感情を爆発させた
”お前は俺を馬鹿にした!ヨーロッパ人と同じだ!”

僕はそんな気持ちで言ったんではない。
あまりにレートが高かったのでcrazyと言ったけど
馬鹿にして言ったのではない
何度も説明したが、彼はもう聴く耳を持たなかった
crazy
と言う言葉
僕は旅行の中で欧米人が使うのを見聞きしていた。
そこに”素晴らしい”というニュアンスが込められていて
僕も同じように軽い意味で使ったつもりだったが
アフガニスタン人の彼には通じなかった。

もう遅い

”お前は俺を馬鹿にした
あいつ等と同じだ”
同じ言葉を繰り返し
そのたびに興奮は激しくなり
しまいに
腰の短刀を抜き
"kill You !"と叫び
僕に向けて飛び掛ってきた。

”こんなところで、こんなつまらない事で
僕は死んでしまうんか!
”こんなつまらない事で死んでしまうんか!!”

そう思うと激しい怒りが
沸き起こる
相手に向けられたのか、自分自身に向けられたのか
分からない
ただ激しい感情が、心を突き上げる
”ぶっ殺してやる!!”
・・・・
相手の出方を伺った
いろいろシュミレートしながら・・・
・・・・・・・・
どのくらい睨み合ったのか
どのように向かい合ったのか
覚えていない

突然僕の周りを10数名の人たちが取り囲んだ。
バスの中で知り合ったハザーラの連中だ。
男は僕から切り離され
なにか叫んでいる
・・・・
助かったんだ
・・・
こうして
僕は彼らに守られて
国境を越えることが出来たのだった。
別れ際
全員が笑顔で僕の肩を叩いてくれたのが忘れられない。
”有難う”ハザーラの人たち
僕は去りがたい気持ちを残し
恐怖心を
怒りと憎しみの感情を掻き立てることによってしか
抑えることが出来なかった
己の弱さを感じながら
・・・・・
日本人と同じモンゴリアンの人たちとの
絆を感じながら
カイバル峠を下った

アフガンK婦人_fi.jpg

ブルカを来た婦人たち。アフガンでは全身を隠したブルカを着ている女性が多い。

アフガンI騎馬_fi.jpg

女性と話していると、銃を向けてきた。
僕が日本人でアフガンの習慣を知らなかったというと
笑って去っていった。

アフガンJ馬車_fi.jpg


アフガンT砦_fi.jpg

写真はアフガニスタンの光景
カイバル峠とは関係ありません。

追記 
 カイバル峠ではカメラを取りだすことは出来ませんでした。
パキスタンからインドまで戻り
再度のアフガニスタン訪問の機会を窺がっていましたが、アフガニスタンの人民民主党による突然のクーデターのニュースを新聞で知り訪問を諦めました。
それからアフガンが戦乱の時代を迎えるようになるとは
夢にも想像できませんでした。

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